さぽろぐ

  日記・一般  |  札幌市北区

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2010年12月30日

母は年明けに転院します

2週間前に先生から退院後はどうしますか、リハビリ専門の病院に転院しますか、それとも自宅に戻りますか、早急に決めて連絡してくださいと云われました。転院するなら先生が転院先を紹介するので早く結論が欲しいというのです。早速、母と妹と3人で検討しました。リハビリをして頂いたおかげで歩行器を使えばなんとか歩けるようになりましたが、杖で歩けるようになるまでは更にリハビリが必要で、退院予定の今月末までは難しいし、自宅に戻っても一人で身の回りのことが出来るようになっているか不安なので、リハビリ専門の病院に転院することにしました。その旨を看護師さんにお話し、先生に伝えてもらいました。先生も迅速に転院先を探してくれましたが、転院先の都合で受入れ可能な日は年明けということでした。母は年末年始を初めて病院で迎えることになります。

病院の外来は年末年始の休みに入ったので、一日に1回は看護師さんに後ろから見てもらいながら杖で病棟の廊下を1周したり、トイレに行ったときは歩行器で廊下を1周しているようです。  


Posted by 中嶋 at 21:28Comments(0)中嶋

2010年12月26日

年賀状を出しました

正月の配達に間に合うように年賀状を出しました。
今年、喪中の葉書が来た人は除き、昨年、喪中の葉書が来た人は復活させ、昨年、頂いた年賀状を用意してから年賀状の文面を考えました。参考にしたのは1年間のブログです。家族のこと、初体験したこと、嬉しかったこと、をまとめました。とても葉書には書ききれないほどいろいろな体験をしました。地域との係わり、旧友との交流、プロの音楽家の演奏や市民向けの講演を聴き感銘を受けたこと等など。宛名や文面はパソコンで印刷しました。昨年、頂いた年賀状を読みながら元気にしているだろうかと思いをはせ、ひと言添えました。
来年も健康で好いことがありますように。  


Posted by 中嶋 at 22:51Comments(0)中嶋

2010年12月19日

母の再手術は回避

10日前に母が入院している札幌市立病院からの電話で「明日、先生からお話があるので来てください」と云われました。良くなってきているなら電話してくるはずはないと思ったのでどんな話になるのか心配になりました。翌日、病院のナースステーションで先生がパソコンに取り込んだMRIの画像を示しながら「足の痛みは血腫ができているためで、これ以上に大きくなったら血腫を取るための再手術が必要になる、もう一度MRIを撮ってから判断したい」と云われました。早速母に伝えたら「もう手術は受けたくない」ときっぱり云いました。命に係わるのであれば仕方ないが、そうでなければ手術の苦しみはもう味わいたくないと云うのです。

3日後にMRIの検査と採血を受けたので、一昨日、妹と母と一緒に先生からその結果の話を聞きました。嬉しいことに血腫は少し小さくなっていました。赤血球や白血球も若干増えていました。先生から「これなら手術しなくても大丈夫だ」と云ってくれたので、ほっと胸をなでおろしました。血腫は身体が本来持っている治癒力で自然に減ってくるそうです。足のむくみや重たい感じは一生懸命にリハビリを続けていけば軽減するそうです。血液検査結果の経緯を印刷して貰いました。担当の看護婦さんも一緒に聞いてくれ、病室に戻ってからも耳が遠い母に大きな声で先生の話を噛み砕いて説明してくれました。
母はその看護婦さんを頼りにしています。本当にありがたいです。最悪の再手術は回避できたので、日常生活を一人で出来るまでリハビリで回復したいものです。  


Posted by 中嶋 at 12:32Comments(0)中嶋

2010年12月15日

母の入院生活は2週間たちました

母が札幌市立病院に入院してから2週間たちました。まだ足が重たく感じるようで片足の指は思うように曲げれませんが、少しでも良くなろうとベッドでしきりに足をマッサージしています。足のむくみも出ています。一人で歩けないため排尿や排便は看護士さんに手伝ってもらっています。それでもリハビリが始まってから生活に張りが出てきたようです。リハビリ計画に従って少しづつ難易度は上がってきましたが、背筋を伸ばして一生懸命に訓練する姿に感銘を受けました。  


Posted by 中嶋 at 15:28Comments(0)中嶋

2010年12月10日

母のリハビリ始まる

札幌市立病院に入院している母の身体に付けられていた管が1本1本と外され、一昨日で最後の管が外れました。それに伴い今週の月曜日からリハビリが始まりました。車椅子に乗せられリハビリ室に行くと、何人もの患者さんが理学療法士さんの手解きでリハビリを受けていました。患者さんの状態に合わせて休憩を入れながらストレッチや歩行訓練をしていました。理学療法士さんは患者さんに明るく声を掛けて励ましていました。少しでもできるようになると手を叩いて褒めていました。辛そうな患者さんも嬉しそうな表情に変わりました。

母は足首に重りがついた帯が巻かれた状態で足を上げ下げしたり、歩行器で室内や廊下を回ったり、2本の平行棒に摑まりながら歩く訓練を受けました。最初は歩行器に寄りかかるようにして背筋が曲がっていましたが、次第にコツを掴み歩行器を使いこなせるようになり背筋も伸ばして歩けるようになりました。担当の理学療法士さんに「上手くなったね」と褒められると、思わず笑みがこぼれていました。まだ脚は重たく感じるようですが、リハビリで歩けるようになればと努力しています。
退院までリハビリは続きます。  


Posted by 中嶋 at 14:55Comments(0)中嶋

2010年12月08日

岡田弘北大名誉教授の自伝

北海道新聞の夕刊の「私のなかの歴史」に11月18日まで17回にわたって岡田弘さんの火山学者としての自伝が連載されました。地域の減災を願って観測と科学者としての社会的責任に心血を注ぎ噴火の現場で奮闘された姿に敬服しました。
連載は、生い立ち、火山学者として2000年噴火に立ち会うことになった経緯、2000年噴火の対応、復興期の地域振興で構成されています。

一番驚いたのは、10年前の2000年だけでなく1977年の有珠山噴火を始め、1985年の十勝岳噴火など当時の状況が生き生きと語られていることです。フィールド研究者として現場第一を貫いたため、危ない目に会いながらも、当事者しか知りえない事実を詳細に記録し、備えの素材を残すことは自分の使命と考え、きちんと検証し次の災害に備えようという考えに感銘をうけました。積雪時の噴火による融雪泥流の怖さも知りました。また、2000年の噴火では犠牲者は出なかったものの危ない目にあった人達もいたそうです。

研究者になりたての頃に統合的な地球観のプレートテクトニクスに遭遇後、観測技術の進歩、データ分析用のコンピュータの進歩、遠隔データ通信の進歩の恩恵を受けて、精密な観測データを広域にリアルタイムに観測できるようになりましたが、避難には多くの人が対象になるため、噴火に際しては今後の推移についてシナリオを描くこと、避難解除の時期決定の支援をすることでは慎重さと難しさがあるそうです。
第一線の火山学者はどんなときでも連絡できるようにしています。自分の意思でゆっくりとくつろげない生活を送ってこられたおかげで多くの住民の命が守られてきたことに感謝します。

1985年に21,000人の犠牲者を出したコロンビアの火山の噴火を契機として研究者としての社会的責任を感じるようになったようです。研究者が分かっているだけでは減災できない、行政や住民が理解して行動することによって初めて減災できるからです。

火山と共に生きるには、防災面だけでなく、火山を良く知り、ハザードマップなどで災害に備え、ジオパークを巡る新しい火山観光などを楽しむ、地域で行動し地球の視点で考えよう。  


Posted by 中嶋 at 19:31Comments(0)中嶋

2010年12月04日

母の手術

生まれて始めて手術を受ける母に付き添い妹と札幌市立病院に行きました。入院手続きを済ませ病棟で担当看護師さんから洗面所や洗濯所、お風呂などの施設を案内された後、病室に案内されました。4人部屋で廊下には既に名札も出ていました。同部屋の3人に挨拶すると皆さん温かく迎えてくれました。母と同じ日に手術を受ける人もいました。病衣に着替え、別室で看護師さんから問診を受けました。入院前に渡された何枚もの用紙に本人と家族の病歴などを記入してきたのでその確認をされました。手術室担当の看護師さんと麻酔科の医師も説明にこられました。本当に手術を受けるんだという気持ちになってきたようです。久し振りにお風呂にも入れてもらい爽やかな表情で戻ってきました。

手術は翌日の一番なので、その前に妹と病院に行きました。あまり眠れなかったとかでソワソワしていました。ベッドごと運ばれて、レントゲンを受けた後、手術室に運ばれて行きました。予定では1時間と云われていましたが、その時刻になっても出てきません。想定外のことが起きたのかと心配になりました。2時間後にやっと出てきました。妹が声をかけましたが、目を閉じて辛そうに息をしていました。看護師さんによると、麻酔から覚めきっていないようです。病室に戻ってからもしきりに脚の裏側が痛いと云って自分の手で揉みます。代わりに揉んでやると「もっと強く」、「擦るように」と訴えます。看護師さんに体勢を変えてもらうと楽になったのか少し眠りました。やがて再び痛みが襲ってくると、目をつぶったまま辛そうに「痛い」、「痛い」と訴えます。看護師さんを呼んで点滴に痛み止めの薬も入れてもらいました。脚の痛みを取る手術を受けたのに、手術前と痛みが変わらないのは何故と思いましたが、看護師さんが「手術で神経を圧迫していたところを取り除いたので痛みが出ているけど、だんだん良くなってくるんだよ」と励まされました。母は「そんな楽天的なことを云ったって痛いんだから、何とかして」と本当に辛そうです。このような状態がずっと続くのかと心配になりましたが、看護師さんはその場合はもっと強い痛み止めの注射も考えていると云われ少し安心しました。妹は母を気遣い消灯の時間まで付き添ってくれました。

昨日の辛そうな様子が気になり翌日も病院に行きました。昨日とは打って変わって穏やかな表情をしていたのでほっとしました。妹によると、昨夜、先生が来られて「痺れは残るかもしれないが、痛みは取れます」と話したそうです。脚を持ち上げたり、足首を反らしたりはできますが、右足と左足では感覚が違うようです。点滴は外れていましたが、手術跡からの血抜きと導尿の管は付けたままです。看護師さんはそれらの袋を取り替えて気持ちよくしてくれたり、患者の話を嫌がらずに聞いて素早い対応をしてくれるので本当に感謝しています。  


Posted by 中嶋 at 18:47Comments(0)中嶋