さぽろぐ

日記・一般  |札幌市北区

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2011年07月28日

次女の旦那の救命

母の葬儀場に着いたとき、先に到着していた喪服を着たカミさんが「次女の旦那が救急車で運ばれた」と血相を変えてうろたえていました。妹たちは「葬儀はいいからそちらに行って」と勧めてくれたので、弟に喪主の代理を頼んで急いで自宅に戻り、平服に着替えてから最初に倒れた病院に行き、転院した病院を教えてもらいタクシーで急行しました。

札幌医大の高度救命救急センターに入ると、次女が「今、検査中」と心配そうに居ても立ってもいられない素振りをしていました。間もなく長女と孫たちも合流しました。仙台のお母さんとお父さん、横浜の長女の旦那も飛行機で来るそうです。デイルームでこれまでの経緯を聞きました。スポーツマンで頑丈な身体をしているのにと思いましたが、前日は高熱を出していたのにも拘らず翌日は下がったのでレンタカーを返しに千歳まで行ったこと、震災の後片付けなどで疲れていたことなどが重なったらしい。次女は「おばあちゃん連れて行かないで」、「子供を置いていかないで」と悲痛な声で旦那の救命を願っていました。

病院の計らいで家族の待機室に案内されました。通夜を終えた妹夫婦と姪も駆けつけて来ました。22時過ぎにはお母さんとお父さん、横浜の長女の旦那が相次いで駆けつけて来ました。先生に呼ばれて処置室に入ると、人工呼吸器や沢山の点滴などの管が体中に付けられ、モニタで血圧や脈拍数などをリアルタイムで表示していました。意識不明なので顔色は青白く眠っているようでしたが、次女とお母さん、お父さんが懸命に話しかけている姿を見ていると、もらい泣きしそうで可哀そうでした。先生の説明によると、20分間呼吸が止まっていたので、いろいろな臓器に障害を与えたが、救命のため処置と脳障害を避ける処置を最優先に取り組んでいる。脳に血液が流れるように特殊な装置で2日間低体温にした後、1日かけて平熱に戻すこともするそうです。医療技術が進んでいることに感動しました。
その後、家族の待機室に寝具を借りてきて、お母さん、お父さん、次女と共に2泊しました。  


Posted by 中嶋 at 01:10Comments(0)中嶋