さぽろぐ

  日記・一般  |  札幌市北区

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2011年07月30日

次女の旦那の回復状況

次女の旦那の入院から1ヶ月が経ちました。現在はリハビリが始まり車椅子で歩けるまで回復しました。
意識は戻りましたが、過去と現在を混同したり、ろれつが回らない状況です。
最大の楽しみは4歳の娘に会うことです。目に入れても痛くないようで優しい父親ぶりを発揮しますが、1週間ほど前に最初に会ったときは身体拘束されていたので、自由になれないいらだちから大きな声を出したこともあり、怖いと思わせてしまい、父親を見つめるだけで固まってしまい一言も話しません。慣れるまではもう少し時間がかかりそうです。
次女は毎日、病院に通って今日の状態を仙台のお母さんに電話で報告しています。

意識が戻ってから話しかけると顔をちらっと向けてくれるだけで何も話してくれない日々が続きましたが、次第に絞り出すような声で話すようになり、話しかけている人を見分けれるようになってきました。
それでも、身体拘束されていたときは、次女やお母さん、看護師さんにまで乱暴な言葉を発していたそうです。看護師さんの話によると、まだ頭の中が混乱しているそうです。頭のCT検査の結果から脳に障害はないのでリハビリで回復させるようですが、元通りに回復できるかは分からないそうです。
次女は、早く良くなって欲しいが、一つでも良くなってくれれば嬉しいと云っています。身体に付けられていたチューブが一つずつ外れたり、話していることばが少しづつ増えたりするだけで嬉しいのです。

先生が若いのには驚きました。患者のために最善の処置をしてくれます。容態が安定するまで毎日9時に先生の説明がありました。神経内科などの先生とも連携してくれます。家族のことにも気を配ってくれます。看護師さんも患者の身になって先生にいろいろな提案をしているようです。
仙台の親は2度も病院に来てくれました。仙台の友達が心配して次女に電話をくれます。孫娘の幼稚園の同組の友達とママ、先生からは心のこもった手紙と折鶴を送ってくれました。病室には孫娘が描いたお父さんの似顔絵と写真と折鶴が飾られています。次女は旦那が好きな歌手のCDを録音して聴かせたりしています。病院に次女だけで行くときはかみさんと孫娘の遊び相手をしています。
次女の旦那は後1ヶ月ほどで退院できる見通しだそうです。
  


Posted by 中嶋 at 23:45Comments(0)中嶋

2011年07月28日

次女の旦那の救命

母の葬儀場に着いたとき、先に到着していた喪服を着たカミさんが「次女の旦那が救急車で運ばれた」と血相を変えてうろたえていました。妹たちは「葬儀はいいからそちらに行って」と勧めてくれたので、弟に喪主の代理を頼んで急いで自宅に戻り、平服に着替えてから最初に倒れた病院に行き、転院した病院を教えてもらいタクシーで急行しました。

札幌医大の高度救命救急センターに入ると、次女が「今、検査中」と心配そうに居ても立ってもいられない素振りをしていました。間もなく長女と孫たちも合流しました。仙台のお母さんとお父さん、横浜の長女の旦那も飛行機で来るそうです。デイルームでこれまでの経緯を聞きました。スポーツマンで頑丈な身体をしているのにと思いましたが、前日は高熱を出していたのにも拘らず翌日は下がったのでレンタカーを返しに千歳まで行ったこと、震災の後片付けなどで疲れていたことなどが重なったらしい。次女は「おばあちゃん連れて行かないで」、「子供を置いていかないで」と悲痛な声で旦那の救命を願っていました。

病院の計らいで家族の待機室に案内されました。通夜を終えた妹夫婦と姪も駆けつけて来ました。22時過ぎにはお母さんとお父さん、横浜の長女の旦那が相次いで駆けつけて来ました。先生に呼ばれて処置室に入ると、人工呼吸器や沢山の点滴などの管が体中に付けられ、モニタで血圧や脈拍数などをリアルタイムで表示していました。意識不明なので顔色は青白く眠っているようでしたが、次女とお母さん、お父さんが懸命に話しかけている姿を見ていると、もらい泣きしそうで可哀そうでした。先生の説明によると、20分間呼吸が止まっていたので、いろいろな臓器に障害を与えたが、救命のため処置と脳障害を避ける処置を最優先に取り組んでいる。脳に血液が流れるように特殊な装置で2日間低体温にした後、1日かけて平熱に戻すこともするそうです。医療技術が進んでいることに感動しました。
その後、家族の待機室に寝具を借りてきて、お母さん、お父さん、次女と共に2泊しました。  


Posted by 中嶋 at 01:10Comments(0)中嶋

2011年07月24日

喪主の挨拶

母の葬式では喪主を務めるので、挨拶文を急遽考えることになりました。葬儀屋さんから提示された例文と個人の経歴書を参考にして、心のこもった内容にしたいと思いました。最も参考になったのが父の編集で母の還暦記念に出した「私の60年」という本でした。改めて読み直し母の思いを再確認しました。また、発病から臨終までの様子を母と交わした会話を通してまとめました。

・入院中にお見舞いに来てくれた人、仲良くしてくれた人、お世話になった人に深謝します。
・デイサービスに通うのを楽しみにしていました。絵手紙と習字は貰いたいというファンがいる程でした。若い人には驚きと感動を与えたようです。オセロも得意で強い相手としないと上手くならないと向上心が旺盛でした。
・良くなりたい、良くして欲しい、良くなって欲しい と自分だけでなく親しい人にも願っていました。

もう少し楽しみたかったと思うと、短い闘病生活になってしまったのは凄く残念です。これからは母の思いを大切にしていきたいと思います。  


Posted by 中嶋 at 00:11Comments(0)中嶋

2011年07月16日

母の臨終

母の急性骨髄性白血病の症状は益々悪化し2カ月間の闘病の甲斐もなく6月29日に遂に力尽きました。
亡くなる2日前に横浜の長女と仙台の次女の家族が母と最後の言葉を交わしました。すっかり弱っている母を見て驚いていましたが、「早く良くなってね」と声をかけると、母は搾り出すような弱弱しい声で「しっかりやるんだよ」と励ましました。
その後、急に先生から呼び出され「白血球が急速に増加しているので、後1週間か2週間だ」と告げられました。そのことを子供たちに伝えると悔しくて涙が止まりませんでした。
長く話すると疲れるからと子供たちには手紙を書いてくるように頼んでおきました。子供たちが帰ってからその手紙を母に読んであげました。母との楽しかった思い出や現在の子育ての様子などが書かれていて、母は「大分成長したね」と喜んでいました。

その夜は千葉の弟夫婦も病院に駆けつけました。翌日、妹から「大分悪くなってきた」との連絡を受け、次の日、かみさんと子供たちの家族全員で病院に行きました。母は苦しそうに大きな息遣いをしていました。妹や弟夫婦も心配そうに声をかけていました。先生から呼び出され子供たちを除いた親たちで話を聞きました。「痛みを緩和するために今朝からモルヒネを点滴に入れたが、今週一杯だ」と告げられたので、別室で今日から泊り込みで付き添う相談をしていたとき、「脈拍数が半減してきた」と知らされ、急いで病室に行きました。頭の辺りは汗でびっしょり濡れていて、全身で呼吸をしていました。先生も駆けつけモニターに映し出される脈拍数などを見ていました。誰かの「息しなくなった」との大きな叫び声で母を見ると、身体の動きは止まり、モニターの全ての値は0になりました。先生が瞳孔を確認して臨終を告げると、今まで交代で献身的に付き添ってきた妹も泣きました。こんな辛いことてあるだろうか、もう少し生きていて欲しかったのに。  


Posted by 中嶋 at 00:17Comments(0)中嶋