2016年11月26日
20年間連れ添った愛猫との別れ-1
<ペットが亡くなるということ>
11月18日、20年間連れ添った愛猫のトラが亡くなった。
子供達とは高校卒業までしか同居していないので、それより2年も長い。
家族の一員としていつも傍にいた。餌やりや排泄物の処理など
の世話をしたが、病気一つせず、可愛らしいしぐさで和ましてくれた。
その喪失感は親しい人を亡くしたのと同様に大きい。
以前はふさふさした毛で覆われふくよかだったが、亡くなる1年くらい
前から痩せてきて、抱くと骨が当たった。それでも元気に駆け回ってい
たが、2週間前頃から猫用のトイレでない所でしばしば排泄するように
なったので、猫用のおむつを着けた。数日前からは立ち上がることが
できなくなり、寝返りするのがやっとだった。ついに排泄もなくなり、け
いれんを引き起こした。カミさんの懸命の心臓マッサージで持ち直した
ので、翌日、動物病院に連れて行った。
カミさんの運転、助手席でトラを抱えていると、苦しそうに「ハァハァ」
息をしていたが、病院に辿り着く前に息を引き取った。
カミさんは泣きながら運転。病院で死亡が確認されると、病院スタッフ
ももらい泣きしていた。
自宅に戻ってから、病院で紹介された動物霊園に連絡、火葬は3日
後になった。その間、カミさんは冷たくなったトラを何度も抱き上げ、悲
しみに打ちひしがれていた。耐えられなくなると、友達や横浜の娘達に
電話した。ペットを亡くした友人と話をして、励まされたようだ。
3日後、動物霊園の車が迎えに来た。火葬場は人里離れた所にひっ
そりと佇んでいた。大きな煙突が立っている倉庫のような建物に入ると、
大きな焼却炉が鎮座していた。仏壇に花と写真を飾り、最後の別れを
した。「トラ、今までありがとう。」と心の中で叫んだ。
焼きあがるまでの1時間、カミさんは待合所で泣き続けていたので、骨
を拾う時どうなってしまうのかと心配したが、取り乱さず、手・足、肩、爪、
頭の骨を一つずつ確認しながら丁寧に拾っていた。
自宅に骨壺を持ち帰り、トラの指定席だったリビングのキャビネットの
上に、写真と遺品の首輪とともに並べた。そこから見守ってね。
11月18日、20年間連れ添った愛猫のトラが亡くなった。
子供達とは高校卒業までしか同居していないので、それより2年も長い。
家族の一員としていつも傍にいた。餌やりや排泄物の処理など
の世話をしたが、病気一つせず、可愛らしいしぐさで和ましてくれた。
その喪失感は親しい人を亡くしたのと同様に大きい。
以前はふさふさした毛で覆われふくよかだったが、亡くなる1年くらい
前から痩せてきて、抱くと骨が当たった。それでも元気に駆け回ってい
たが、2週間前頃から猫用のトイレでない所でしばしば排泄するように
なったので、猫用のおむつを着けた。数日前からは立ち上がることが
できなくなり、寝返りするのがやっとだった。ついに排泄もなくなり、け
いれんを引き起こした。カミさんの懸命の心臓マッサージで持ち直した
ので、翌日、動物病院に連れて行った。
カミさんの運転、助手席でトラを抱えていると、苦しそうに「ハァハァ」
息をしていたが、病院に辿り着く前に息を引き取った。
カミさんは泣きながら運転。病院で死亡が確認されると、病院スタッフ
ももらい泣きしていた。
自宅に戻ってから、病院で紹介された動物霊園に連絡、火葬は3日
後になった。その間、カミさんは冷たくなったトラを何度も抱き上げ、悲
しみに打ちひしがれていた。耐えられなくなると、友達や横浜の娘達に
電話した。ペットを亡くした友人と話をして、励まされたようだ。
3日後、動物霊園の車が迎えに来た。火葬場は人里離れた所にひっ
そりと佇んでいた。大きな煙突が立っている倉庫のような建物に入ると、
大きな焼却炉が鎮座していた。仏壇に花と写真を飾り、最後の別れを
した。「トラ、今までありがとう。」と心の中で叫んだ。
焼きあがるまでの1時間、カミさんは待合所で泣き続けていたので、骨
を拾う時どうなってしまうのかと心配したが、取り乱さず、手・足、肩、爪、
頭の骨を一つずつ確認しながら丁寧に拾っていた。
自宅に骨壺を持ち帰り、トラの指定席だったリビングのキャビネットの
上に、写真と遺品の首輪とともに並べた。そこから見守ってね。
Posted by 中嶋 at 18:11│Comments(0)
│中嶋