2008年10月29日
横田章画伯の個展(2008)
横田章さんから個展の案内状を頂いたので、最終日の昨日かみさんと大同生命ギャラリーに出かけました。30点近くの作品が展示されていました。案内状のポストカードに印刷されていたスペインの地中海に面した明るい港町風景は50号の大作で、隅々まで丁寧に描かれていて一際目を引いていました。スコットランドの夕暮れの風景も素晴らしかった。特に雲の微妙な色使いは見事で遠近感と立体感にしばし見惚れました。
一通り見終えたところで、横田さんがにこやかな笑顔で見物に来られた人達をお茶に誘っていました。お茶を頂きながら作品の説明を受けたり質問したりと楽しそうに話がはずみました。知らない人とでも絵を通して気軽に話し合えました。
チャレンジ日記3の岡村さんも昨日見学に来られたとブログに書かれていました。同じ町内の柿崎夫妻にも会場でばったり会いました。これからもお体に気をつけて個展を続けていって貰いたいものです。
一通り見終えたところで、横田さんがにこやかな笑顔で見物に来られた人達をお茶に誘っていました。お茶を頂きながら作品の説明を受けたり質問したりと楽しそうに話がはずみました。知らない人とでも絵を通して気軽に話し合えました。
チャレンジ日記3の岡村さんも昨日見学に来られたとブログに書かれていました。同じ町内の柿崎夫妻にも会場でばったり会いました。これからもお体に気をつけて個展を続けていって貰いたいものです。
2008年10月25日
母の目の手術
母の目の手術に付き添いました。3年前に白内障で右目を手術していましたが、左目も見えづらくなってきたので手術を受けることにしました。3年前は1泊2日の入院でしたが、今回は日帰りになりました。手術は30分位で終わりましたが、手術の4時間前に病院に入り、個室の回復室で病院着に着替えてベッドに横たわって点滴や目薬、注射をしてもらっていました。寝ている母の顔をじっと見ているとずいぶん年老いてしまったけれど、病気に立ち向かいたくましく生きてきたなと痛感しました。
看護婦さんに付き添われて手術室から出てきた母の左目には大きな眼帯が掛けられていて痛々しく歩きもおぼつかないけれど元気そうに戻ってきました。2時間ほど休息していたら、先生がにこやかな笑顔で来られて様子を伺い、注意点を話してくれました。その後、実家まで送って行きました。病院より家の方が落ち着くようです。年をとると耳も聞こえずらくなるが、補聴器は高いし合わなくなるので、目の手術のように簡単な処置で聞こえるようになることを望んでいました。
翌日は妹が病院に付き添いました。何種類もの薬が出されたので妹は迷わないように薬を区分けしたそうです。眼帯を外したらよく見えるようになったと喜んでいました。
看護婦さんに付き添われて手術室から出てきた母の左目には大きな眼帯が掛けられていて痛々しく歩きもおぼつかないけれど元気そうに戻ってきました。2時間ほど休息していたら、先生がにこやかな笑顔で来られて様子を伺い、注意点を話してくれました。その後、実家まで送って行きました。病院より家の方が落ち着くようです。年をとると耳も聞こえずらくなるが、補聴器は高いし合わなくなるので、目の手術のように簡単な処置で聞こえるようになることを望んでいました。
翌日は妹が病院に付き添いました。何種類もの薬が出されたので妹は迷わないように薬を区分けしたそうです。眼帯を外したらよく見えるようになったと喜んでいました。
2008年10月20日
町内会の秋の清掃(2008)
昨日は秋晴れの心地よい暖かさの下で生活道路と排水溝を清掃しました。8:30頃から近所の人達が大勢出てきて落葉が散乱している歩道と道路を箒で清掃していました。深さ1m程の排水溝には落葉が泥水に混じって浮いていました。それらを特製の道具で掻き揚げるのは重労働なので数人の男性が交代で行いました。面白いことに排水溝の場所によって泥が多い所と水が多い所がありました。坂道の勾配の違い、道路の交差点や曲がり角、風の向きなどによるものと思われます。
普段は静かな通りもこの日ばかりは賑やかでした。自分たちが暮らす環境を自分たちで綺麗にする活動なので、どなたもお喋りしながら楽しそうに掃除していました。家庭菜園でゴーヤが採れたという驚くようなお話が聞けたのもこのような場ならではでいいものです。
普段は静かな通りもこの日ばかりは賑やかでした。自分たちが暮らす環境を自分たちで綺麗にする活動なので、どなたもお喋りしながら楽しそうに掃除していました。家庭菜園でゴーヤが採れたという驚くようなお話が聞けたのもこのような場ならではでいいものです。
2008年10月15日
メール文化
昨日、今年の3月に定年退職した同期生に4年振りで会いました。退職後も複数の職場に勤務して相変わらず忙しい日々を過ごしているとのことでした。近況や同期生の状況について話している内、メールに話が及びました。メールは読まないというのです。同期会のメールも読んでいませんでした。あちこちから大量のメールが送られてくるので読んでいられないという。
記録として残り、いつでも送れて、都合が良いときに読める電話にはないメールの利便性は失いかねています。迷惑メールや読みたくないメールが送られてくることも一因だと思います。
迷惑メールは文書のキーワードなどで判定してくれるようになりましたが、何でもないメールが迷惑メールとして判定されることもあります。
そこで、自分にとって見逃せない重要なメールを判別する仕組みをセキュリティ関連の企業に作ってもらいたい。何を重要と考えるかは人それぞれですが、発信者や重要度の尺度(キーワードなど)を設定できる仕組みが考えられます。
記録として残り、いつでも送れて、都合が良いときに読める電話にはないメールの利便性は失いかねています。迷惑メールや読みたくないメールが送られてくることも一因だと思います。
迷惑メールは文書のキーワードなどで判定してくれるようになりましたが、何でもないメールが迷惑メールとして判定されることもあります。
そこで、自分にとって見逃せない重要なメールを判別する仕組みをセキュリティ関連の企業に作ってもらいたい。何を重要と考えるかは人それぞれですが、発信者や重要度の尺度(キーワードなど)を設定できる仕組みが考えられます。
2008年10月07日
北陸での同期会
大学の同期会が北陸で9月26日から28日まで行われました。同期会はオリンピック開催年に行ってきたので4年振り8年振りに再会した人もいました。同期生は関東、北海道、北陸に散在しているため、富山の幹事からの連絡はメール中心で行われました。旅行のスケジュールや出席確認など頻繁にメールでやりとりしました。メールは本人の承諾のもと同報で送受信されました。近況や提案・意見などが公開されるため懐かしくなり早く再会したい衝動に駆られました。
旅費は遠隔地から参加する人の負担を軽減するため均等割りにしています。2日目、3日目の名所見学は2台の自家用車を使いました。旅館は大部屋に皆が集い枕を並べて寝ました。旅費を少しでも下げるための配慮からです。
北陸は富山県の氷見市の氷見温泉郷と石川県の加賀市の片山津温泉に泊まりました。
日本海沿いを走るとたわわに実った黄金色の稲が稲架にかけられていて収穫の秋を実感しました。街路樹は緑色の葉をつけていて北海道で見られるナナカマドは見当たりませんでした。
久し振りに会っても学生時代に戻れた旅でした。
旅費は遠隔地から参加する人の負担を軽減するため均等割りにしています。2日目、3日目の名所見学は2台の自家用車を使いました。旅館は大部屋に皆が集い枕を並べて寝ました。旅費を少しでも下げるための配慮からです。
北陸は富山県の氷見市の氷見温泉郷と石川県の加賀市の片山津温泉に泊まりました。
日本海沿いを走るとたわわに実った黄金色の稲が稲架にかけられていて収穫の秋を実感しました。街路樹は緑色の葉をつけていて北海道で見られるナナカマドは見当たりませんでした。
久し振りに会っても学生時代に戻れた旅でした。
2008年10月02日
航空機の遅延
9月26日から28日まで富山で大学の同期会が開かれるため、飛行機で富山に向うことにした。
富山までの直行便は1便しかなく出発時刻も遅いため、羽田経由で行くことにした。
9月26日、千歳空港で搭乗手続きをしたとき、「上層の気流が悪いため20分程遅れており、羽田から富山への乗り継ぎ便に間に合わない可能性がある。その場合は次の便(2時間後)に乗って貰います」と知らされた。富山空港では友達が待っているので困ったことになった。
搭乗が始まり飛行機に乗ってもなかなか飛び立つ気配が感じられない。20分どころか40分も遅れてやっと離陸した。飛行中に「羽田には30分遅れで到着する予定です」と機長からアナウンスがあった。この程度ならなんとか間に合うかなと一安心したが、羽田に近づくにつれ遅れは更に広がり、タイムリミットが過ぎてしまった。スチューワデスに確認すると、「到着口で地上係員が案内します」と教えてくれたが、間に合わない不安は消えない。
到着すると、地上係員が乗り継ぎ便の案内を大声でしていた。幸いなことに乗り継ぎ便も遅れているとのことである。係員は私を含めて2名の乗客を連れて案内してくれた。関係者以外は入れない通路の鍵を開けて先導してくれた。
待合室に到着すると、大勢の乗客が待っていた。35分遅れを確認し一息ついた。
飛行機は天候に左右されるのも仕方ないが、乗客への案内が徹底しているのには感心した。
富山までの直行便は1便しかなく出発時刻も遅いため、羽田経由で行くことにした。
9月26日、千歳空港で搭乗手続きをしたとき、「上層の気流が悪いため20分程遅れており、羽田から富山への乗り継ぎ便に間に合わない可能性がある。その場合は次の便(2時間後)に乗って貰います」と知らされた。富山空港では友達が待っているので困ったことになった。
搭乗が始まり飛行機に乗ってもなかなか飛び立つ気配が感じられない。20分どころか40分も遅れてやっと離陸した。飛行中に「羽田には30分遅れで到着する予定です」と機長からアナウンスがあった。この程度ならなんとか間に合うかなと一安心したが、羽田に近づくにつれ遅れは更に広がり、タイムリミットが過ぎてしまった。スチューワデスに確認すると、「到着口で地上係員が案内します」と教えてくれたが、間に合わない不安は消えない。
到着すると、地上係員が乗り継ぎ便の案内を大声でしていた。幸いなことに乗り継ぎ便も遅れているとのことである。係員は私を含めて2名の乗客を連れて案内してくれた。関係者以外は入れない通路の鍵を開けて先導してくれた。
待合室に到着すると、大勢の乗客が待っていた。35分遅れを確認し一息ついた。
飛行機は天候に左右されるのも仕方ないが、乗客への案内が徹底しているのには感心した。